日本ワーグナー協会の年刊誌に寄稿

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

日本ワーグナー協会の年刊誌に寄稿
 日本ワーグナー協会では、1年に1度、夏にワーグナーシュンポシオンという年刊誌を出しているが、今年の分が家に届いた。楽しみなのは、僕が寄稿した記事が載っていること。こんな時期に出るのに、原稿の締め切りが2月末だったので、実は1月後半からいろいろ準備のために忙しかった。そして、原稿を送ってから半年もお預けを食っていたので、ずっと待ちくたびれていたよ。

写真 ワーグナーシュンポシオン2022の目次(縦書きになっている)
ワーグナーシュンポシオン目次
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 僕の記事の題名は、「コードネームから読み解く《トリスタンとイゾルデ》」。和声を表す記号はⅠ、Ⅳ、Ⅴ7といったローマ数字を使うのが一般的だけれど、それはひとつの調性の中での和声的機能を表すもので、「トリスタンとイゾルデ」のように、頻繁に転調を繰り返す音楽の場合、ただ煩雑になるだけで有用ではない。
 こうした音楽を理解するのに最も有効な手段が、長調、短調あるいは属和音や減和音や増和音などの、それぞれの和声の特徴を絶対的音高で表現する「コードネーム」なのである。
 コードネームというと、ジャズやポピュラー音楽で使われているので、価値が低く見られているけれど、どうしてどうして、ワーグナーだけでなく、ドビュッシーやラベルあるいはリヒャルト・シュトラウスなど、このやり方で把握しないと無理といってもいい。

 本題に入ったら、割と論文っぽく書いたつもりだけど、「エッセイ」の項に並べられてしまった。あははははは!やっぱり僕は、サービス精神が働いてしまって、読み物として楽しんでもらえないと自分で納得出来ないんだな。だから学者のようにはなれないよ。別にそれでいいんだけど。

写真 ワーグナーシュンポシオンの表紙
ワーグナーシュンポシオン表紙

ということで興味のある方は読んで下さい。だけど、この年刊誌は、ワーグナー協会の会員にはただで送られてくるんだけど、一般人が買うと2900円と高いんだよね。

高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)
 カトリック信者でありながら、いつの間にか僕は神社オタクになっているようだな。その理由は早朝散歩と結びついている。散歩をしながら僕は、こうして散歩を出来る自分の健康を感謝し、これから始まる1日において、自分が成すべき事を滞りなく行えるようお祈りする。
 ところが、この時間には、だいたい教会は開いていない。その点、お寺や神社は元々外でお祈りするものだからいい。それならお寺でもと思うけれど、どうもね、神社の方がはるかに気が良いのだ。
これは最近気が付いたことだけど、お寺はよくお葬式をするじゃない。その反対に、神社はあまりお葬式はしないでむしろ結婚式をするよね。きっとそのせいで、神社にはあまり死霊を感じないで、むしろ幸(さち)を祈る気を感じるのだ。
祈りの文句もまさにそう。

祓い給え 清め給え
神(かむ)ながら
守り給え
幸(さきわ)え給え
 7月24日日曜日の早朝も、6時前に起きて散歩に出た。今日は10時から愛知祝祭管弦楽団の練習なので、昨晩名古屋に着いて金山駅前のホテルに泊まっている。足は当然のように、熱田神宮に向かう。大津通を南下する。
 そのまま何も考えずに歩いて行ったら熱田神宮に着いたのに、その日は写真を撮ろうと思っていたのでiPhone持参で行った。途中で念のためにGoogle Mapを開けたら、目に飛び込んできたのは「熱田神宮公園」。
「あれ、一本向こうの通りか?」
ちょうど目の前に公園があったのでそこを通り抜けて行った。高蔵公園という。すると、その公園の向こう側にとても気の良さそうな神社があった。

 結果的に言うと、僕は大きな勘違いをしてしまったのだ。実は、熱田神宮公園は、熱田神宮とは違うところにあるのです。やはり緑があるので、何の疑問もなく入って行ったら、あるのは野球場や球技場やテニスコートだけ。ゲッ、瞞された!手前の緑は断夫山古墳でした。
 ホンモノの熱田神宮はもう少し先にあるので今から行ってもいいのだが、僕は心の奥底に何か気になるものを感じていた。
「まてよ・・・こうなったら、さっきの神社に行ってみようかな」
ということで戻った。

 その神社は高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)と呼ばれる。境内に入っただけで凜とした気が漂っている。本殿の中を見ると、こんな早朝なのに神主さんが何か準備をしている。僕が近づいていったら、準備を終えて、一度自分の住んでいるところに戻って行った。
 僕はお賽銭を投げ、手を合わせて一礼して先ほどの「祓い給え・・・」の文句を唱え、それから二礼して手をパンパンと打ち鳴らし、感謝の祈りを始めたが、あまりに気持ちが良いので、祈りが終わってもその場に立ちすくんだまま瞑想状態に入っていった。

 帰り際、鳥居の処で振り返ると、神主さんが正装をして本殿に入っていった。ほう、これからお祈りをするのか。きちんとしている神社だ。そうした神主さんの姿勢が、境内全体のこの雰囲気を創り出しているわけだな。

写真 正装の神主さんが本殿に入っていく(遠景から)
高座結御子神社

 なんでもそうだけど、問題は、「元来由緒正しい」とか、「長い歴史がある」とかではなく、現在、今の今、関わっている人の心のあり方や生き方や行動が、全てを決めていくのだと思う。だから僕だって、とても清々しい気持ちでこの神社を出ることができたし、そうした僕の気が、今度はその日関わる全ての人たちにまた伝播していくわけだ。  

愛知祝祭管弦楽団「トリスタン」中間報告
 先日千穐楽を迎えて無事終わった二期会「パルジファル」公演のプログラムの中で、東条碩夫氏が、「わが国の『パルジファル』全曲上演史」という項目の最後の方で、こう書いておれらた。
「アマチュア・オーケストラの愛知万博祝祭管弦楽団(現・愛知祝祭管弦楽団)が、三澤洋史の指揮、佐藤美晴の演出によりセミ・ステージ形式上演で継続しているワーグナー・シリーズ。その初演もやはり『パルジファル』だった。
ただし筆者はこの公演のみ聴けていない。パルジファルを片寄純也、クンドリを清水華澄、グルネマンツを長谷川顯、その他の人々が歌ったはずである。
因みにこのオーケストラの水準は驚異的に高い
 この最後のひとことは、勿論大変名誉なことであり、とても嬉しいのだが、今この時期においては、実に大きなプレッシャーになっている。

 今の段階では、まだまだ人にお聴かせできるレベルではなく、本番までにもうひと山もふた山も越えなければならないからだ。でも今回は、8月18日木曜日と19日金曜日の2日間で、木下志津子さんのピアノで全キャストの落ち着いた稽古ができるし、そのまま20日と21日では、オーケストラと一緒の通し稽古及び直し稽古ができる。勿論、本番前日の27日土曜日でもオケ練習はあるが、そこでは歌手にフルボイスを要求するのは酷というものだろう。

 さて7月24日日曜日のオーケストラ稽古では、午前中にトリスタン役の小原啓楼さんとイゾルデ役の飯田みち代さん、それにブランゲーネ役の三輪陽子さんで、第1幕を中心に稽古を行い、午後は、そこにメーロト役の神田豊壽さんと、名古屋出身ながら初めて当団に登場するマルケ王役の伊藤貴之さんが加わった。
 いやあ、伊藤貴之さんは、先日もコレペティ稽古をしたが、期待をはるかに超える逸材だ。持っている声そのものが幅広く豊かなのは勿論のこと、表現力が素晴らしい。先日僕がいろいろサジェスチョンしたことにただ従うだけでなく、自分の表現として成立させている。
 また、小原啓楼さんの発声法は驚異的だと思う。昔から彼のことはよく知っているが、最近また開眼したんだな。決して威圧的ではなく、しなやかで美しく響く声。飯田みち代さんの柔軟な声と合わせて、恐らく僕が望んでいた、「どこにもない『トリスタンとイゾルデ』のサウンド」が8月28日名古屋に響き渡るに違いないと確信している・・・まあ、もうひと山・・・ふた山・・・越えないといけないんですがね・・・団員のみんなも頑張ろうね!

東混と新国立劇場合唱団の合同演奏会
 さて、今週末7月31日日曜日には、東京オペラシティのタケミツメモリアル・ホールで、Dream Concertと称した、東京混声合唱団と新国立劇場合唱団との合同演奏会がある。東混の方の指揮はキハラ良尚さんが担当するが、僕が指揮する演目は以下の通り。

バッハ作曲 モテット Komm,Jesu,komm BWV229
モーツァルト作曲 Ave verum corpus KV618
ブラームス作曲 「ドイツレクィエム」より 
第4曲Wie lieblich sind deine Wohnungen
マスカーニ作曲 歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より
「オレンジの香りが」(新国立劇場合唱団のみ)
ワーグナー作曲 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より
1:冒頭のコラール
2:歌合戦前の合唱曲「目覚めよ、朝が近づいている」
3:最終合唱「ドイツのマイスターを敬ってください」

 練習は今週中に3回。その合間に「おにっころの冒険」に出演する子供たちのワークショップが2回入り、この歳になって新しい出遭いや挑戦にワクワクしている今日この頃です。



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